2005年11月アーカイブ

 ちょうど今、朝まで生テレビでこの問題をやっています。いろんな意見が出てきていますが、結構情けない問題だなと感じました。

 民主党議員は少子化対策は年金制度が破綻するから必要だなんて言ってましたが、結局自分のために生むということか。現実的問題として大事なことではあります。でも子供って何だろう? 甥しかいない僕でも彼が生まれてからはかわいくてしょうがない。ミクロで見れば尊い命も、マクロで見れば将来の労働力にすぎない。

 働く女性が子供生みやすくすればよいとか、家庭ではなく社会で子供を育てればよいとか、製造工程の改良のように言うけれど、作ればいいということでもあるまい。子供の教育はどうなるんだろうか。やはり明確にその子の教育に責任を持つ人間(僕は親だとおもいます)を中心に据えて、教育機関、社会などがその役割を明確にして教育をやっていかなければ、すべての人が無責任、無関心になるのではないだろうか。待っているのはマナーや秩序のない社会ということになりかねません。そういった子供たちを監視し、社会秩序を守るためのコストがよけいにかかるような気がします。

 たまたま、今日、面識のない学生から締め切りを過ぎたレポートを受け取ってくれと言うメールが来ました。しかし、そのメールはタイトルもなく、名前を名乗ることもせず、何の講義のレポートかも書いておらず、遅れた理由も書いてありませんでした。しかも、顔文字を使ってまるで友人に当てたメールのようでした。こういう子がすべてではありませんがちょくちょく見かけます。少なくなっている子供さえ満足に躾も出来ない僕らの社会が、子供を乱造することになったら、決していいい結果は生まないように思います。

 本当に僕らの社会は、人口減少の時代のなかで年金制度を支えるだけの経済的価値をうみ出す能力を持った子供たちを育てられるんでしょうか?それ以前に考えるべきことがあるような気がしてなりません。

 ほんの少しではありますが教育機関で働く者として、子供が増えれば需要は増えますが、マナーも教育も満足に習得しない子供を送り出すことになりはしないかと心配でもあります。

 とりとめもなく書いてしまいましたが、人を育てるということは難しいことだなあと最近よく感じています。そこに子供の大量生産を論じる話を見てしまったので、ちょっと複雑な胸中です。てか、話がまとまらんので、おわり。

 今日は祝日だったのですね。大学から帰って夕刊が来ていないことでやっと気づきました。

 僕の通う大学では、祝日は基本的に講義があり、いつ祝日なのかということがあまり感じられません。確かに今日は大学では人が少なかった気がするし、通勤途中に小学生を見た気がする。スーパーのお総菜売り場も家族用の大きな寿司パックとかお刺身とかが多かった。それにしても帰ってくるまで気づかないなんて。大学でも「今日祝日ですね」なんて話は誰ともしなかった。 大学の日程の影響なのか、完全にずれてきているような気がする。

 何より納得がいかないのは教員や学生に振り替え休日がないのに、事務員さんにはあることだ。

ガシャ、ガシャ、ジャ、ギギギギギ。

 いやな音がしてペダルが一瞬動かなくなったあと、急に軽くなる。下を見たらチェーンがはずれている。上り坂だったので、自転車の進む勢いがすぐなくなって、フラフラしながらビンディングペダルをはずそうとする。でも、うまくはずれない。普段当たり前にしていることがパニックになると出来ない。何とか右足がはずれて足が地面に着く。ホッとすると同時に、メカトラブルの状況に愕然とする。

 フロントディレーラー(変速機)が下方向にずれてしまっている。これではチェーンをかけてもすぐはずれてしまう。仕方ないので変速機をエイヤッと戻そうとするが、ワイヤーのテンションが高く、引き上げることができない。仕方ないので、前変速をあきらめてワイヤーをはずし、ディレーラーをずらして、チェーンラインを確保する。はずしたワイヤーをハンドルに巻き付けて応急処置終了。

 走り始めるも後ろの変速も調子が悪く、仕方なく一番チェーンに負担の少ないギアを選んで帰ってきました。ギアが軽く、のんびり走ると体が冷えてきつかったです。いつまたチェーンが落ちるかわからないので、体全体が力んでしまって、すごい疲れました。午後7時半にでて、1時間程走る予定が、帰ってきたら10時前。

 冬のメカトラブルは体に悪いので、家を中心にしたサーキットコースを考えるなど練習に工夫が必要だ。それにしても、冬の夜に街灯の下で一人で自転車修理は寂しすぎました。誰もとまってくれないし、きにもとめてくれない。世の人の情けこそが冬なのかもしれません。

 

 最近だいぶ寒くなってきて、自転車に乗るのも寒さが耐え難いので、グローブやらウィンドブレーカーやらを買い込みました。そして、ヘルメットをつけていても頭が寒いので、ヘルメットの下に何かを仕込もうと考えたわけです。そこで選んだのがコレ。ネックウォーマーでありながら、ヒモを引き絞ると帽子になるという優れものです。

 今日到着したので早速、ヒモを引き絞って頭にかぶりました。お、なかなかのフィット感でいい感じです。そして、試し乗りに出ようとして、ヘルメットをかぶったその時に僕は失っていた記憶を取り戻したんです。

 ヘルメットがきつい。

 たった、数ミリの違いのはずなのに、帽子をかぶってヘルメットをかぶるときつい。

 そうだ、俺、頭でかいんだ。

 自分でも長らく忘れていましたが、実は僕、頭がでかいんです。別に異常なまでの大きさという訳ではないですが、平均よりは確実に大きいとおもいます。普段帽子を買ったりすることもないので、すっかり忘れていました。前に思い出したのは自転車のヘルメットを買った時で、3,4年前のことです。そのときは別にヘルメット選びに困ったわけではないですが、サイズはXLです。

 今回の帽子+ヘルメット。入らないことはないんですが、ちょっと圧迫感があります。でも、つけないと頭のてっぺんだけがスースーして、ザビエル気分です(自転車のヘルメットは穴だらけなので)。

 

 今月下旬に某企業に講義へ行くため、産業財のマーケティングについて勉強しています。産業財については全くといっていいほど知らないので今頃必死です。そして今日図書館で出会った本がコレ。

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 著者は実務の経験豊かなひとらしい。図書館で本の目次をみたり背表紙をみたりしていると、あれっと思うことがありました。前の写真と次の写真をよく見比べてください。

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 図書館の本なので下の方にラベルが付いていますが、そのすぐ上が、、、、、藤原?

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 見間違いかと思いましたが、やっぱり藤井と藤原。
出版社が藤原書房か?とも思いましたが、東洋経済でした。

 物書きに誤字はつきものですが、著者の名前を間違えるとは、、、、。おそろしや。かつて共著で本を書いたけど、表紙の校正なんてしないもんなぁ。俺も気をつけよう。「敏々」とかされないように。

 それにしてもこのラベルめくりたい。下がどうなっているのか知りたい。でも、図書館の本なのでおこられるだろうな。 

 今日は変な日だ。

 講義の準備が3週先までできてみたり、珍しく掃除して机の上がきれいになったりしてます。

 そして、商業的なメールマガジン以外、1通のメールも、1本の電話もない。今日、月曜だよね?

 マネジメントを発明した男、ピーター・F・ドラッカー氏がなくなった。自らを「社会生態学者」と称し、社会の革新のための手段としてイノベーションとマネジメントに着目、また、その推進機関としての企業に注目したのである。その著作は全世界で読まれ、企業家を中心に多くの影響を与えました。アメリカ経営学においてグルの中のグルとしてマーケティングを始め、様々な分野へ影響を残しました。

 氏の著作は私にとっても重要なものでした。『断絶の時代』などは1960年代にかかれたものにもかかわらず、2002年頃にそれを読んだ私にはまさに今目の前で起こっていることがそこに述べられていると感じられました。

 氏の関心先にも述べたとおり、社会にあった訳ですが、そのマネジメントの手法は企業だけでなく、政府、非営利組織、個人などあらゆる人が使えるものでした。今後も彼の著作は読み継がれるでしょう。なぜなら彼のような社会のとらえ方が出来る人はもうでてこないだろうから。

 まだニュースに接して間もなく、いろんなことが整理出来ずにいて、彼の功績のかけらも紹介できていませんが、彼の死は世界の社会の損失であることは間違いないでしょう。日本でもドラッカー学会が出来た矢先だっただけに残念です。私も学会を通じて今後もドラッカーの勉強をしていきたいと思います。

 ご冥福をお祈りします。

 

新車より高いよ。これ買うならフェラーリ買うよね。ってか、広い家が買える。

昔レグナムに乗ってたけどこんな値段で売れるとは・・・・・100分の1以下で従兄弟に売ってしまった。

と聞かれました。

確かに今日はそういわれるだけの失敗をしております。

1.作りかけの中間テストを後もう少しで完成というところで、保存せずに終了。他のファイルをちょっと見て、そのウィンドウを閉じるときにアプリごと終了。午前中は茫然自失にすごす。

2.携帯に電話がかかってきたので、電話にでたら相手が無言で、無言電話かよ電話を耳から話して画面を見たら、「不在着信」と表示されていた。どうやら電話にでようとしたときに「通話」ボタンではなく、「切」ボタンをおしたらしい。そりゃ無言だ。

3.アーサー氏に会話中ひたすら「アラン」と呼び続ける。別れ際に、僕の名前はアランじゃないよ。それは父のミドルネームだ。疲れて見えるよ。などとと言われました。

とまあ、完璧にダメな一日でした。

 人生2回目のリコールです。

 1回目はかの悪名高き三菱自動車。アイドリング中にエンジンが止まるのでリコール対象だと説明があったが、その程度でリコールするのか?ホントはもっと怖い内容を隠しているのじゃないかとかなり疑いました。

 で、今回のはニコンのデジカメのバッテリーで、発火のおそれありということらしい。ホームページの案内ではとりあえずここに電話しろという案内しかないので、どのように送り返していいのかさっぱりわかりません。しかも、電話がいつかけてもつながらない。ここ3日くらいこまめにかけているのに全くつながらん。ホームページで返し方を案内してくれたらいいのに。発火するのが早いか、電話がつながるのが早いか。

 どっちにしてもリコールというのは対応が悪いです。三菱などは、修理時間が1時間だというので、「ショールームで本を読んで待たせてね」と確認の上行ったのに、「他のお客様がおられますので、外で時間をつぶしてきてください」と言われました。当然、僕のことなのでもっとひどい仕返しをしてやりましたけど、それにしてもリコールというのは対応が悪い。今回のニコンも連絡のとり方は電話のみで、不便でしょうがない。

 利益を生まない作業なので、消極的なのは仕方ないのかもしれないが、とりあえず電話回線とオペレーター増やせ、ニコンよ!

 

 今日は珍しく講義も打ち合わせも勉強会もなかったのでさぼって自転車に乗ってきました。昼間に乗るのはずいぶん久しぶり泣きがします。夜は暗すぎて走れない琵琶湖の湖岸道路を走ってきました。ま、いつものコースといえば、いつものコースです。

 うちから20分くらいのところに佐川急便の関連施設(保養所や美術館)があるんですが、その中の保養所の前にある銅像を紹介します。創業者の銅像よりも目立つところに、このかわいい佐川くん(勝手に命名)があります。なにも銅像にすることもないと思いますが、まあかわいいのでいいでしょう。

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 そして、10メートルと離れていないところにたっているリアル佐川くん。

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 佐川くんを見た後に、リアル佐川くんを見るとちょっと気持ち悪いです。なにげに大胸筋が発達してます。でもこいつ(要mixi)のインパクトには遠く及びません。

 プロ将棋の世界で60年ぶりに編入試験によるプロ棋士が誕生したそうだ。プロ棋士のほとんどは奨励会という組織での競争に勝ち残った人しかなれないそうです。将棋そのものには興味がない、というか駒の動きもろくに知らない私ですが、大崎善生著作でちょっとだけ興味があり、ヤフーニュースをクリックしてみました。

 そこには当然記事があり、その下にいろいろリンクが張ってありました。そこで、将棋プロ編入試験というリンクをクリックしたところ、毎日小学生新聞の用語解説でした。

 小学生(しょうがくせい)新聞(しんぶん)らしくふりがなをふってくれてはいるのですが、むしろ読(よ)みにくい。新聞(しんぶん)だったら文字(もじ)の上(うえ)なり横(よこ)なりにふりがなをふってあるのだろうが、いちいち括弧(かっこ)のなかに放(ほう)り込(こ)まれたら、読(よ)む気(き)も失(う)せてくる。

 心地よい。


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 自分のふるさとに帰ってきたような感覚さえある。今回のアルバムは小曽根真やソッフェとのコラボ曲もあるものの、アルバムの独自曲は基本的にAORテイストに仕上がっていて、懐かしいけど、洗練されているというかんじです。なんと言ってもAORの大御所たちが曲作りに参加しているのは、すごいのひとこと。竹善さんもここまで来たか。

 先週は全くやる気が起きなくて仕事や研究が進まなかったのですが、これが届いた金曜の晩あたりからだいぶ本などもすらすらと読めるようになった気がします。まさにNO MUSIC, NO LIFE.ですね。

 ファンタジー小説の形式で、著者の研究する文化の経済学の重要性が説かれている。経済学においてはまだまだ新古典派が主流で、文化の経済学は新興宗教のようなものであるという著者の嘆きが聞こえてくるようだ。キリスト教における異端排除運動と新古典派と文化の経済学の関係を重ねているように感じられる。

 新古典派経済学は経済主体が経済合理的な判断を下して行動することを前提に経済を分析する。しかし、文化の経済学は歴史や慣習、規範、宗教などさまざまな文化的要素に影響を受けながら経済主体が行動をすることを前提とする。

 文化の経済学が前提とするものは、言ってしまえば「当たり前」のことなのだ。しかし、経済学は今までそれをしてこなかった。全体が理解できないときは部分に切り分けて研究し、その合計を全体としてとらえるデカルト的手法をベースに発展してきた現代科学において、経済学はその研究対象から文化を捨象してきた。ただし、やはりその方法で発展していた経済学には価値があったと私は考える。そして著者は文化の経済学が現在までの経済学の成果を取り入れなければならないとも説いている。これはどちらが重要で真理に近いかという論争ではなく、また経済学の段階的発展論でもなく、経済学の質的変化に対する注意喚起の議論である。

 他の書評をみるかぎり世の評価はお金の価値や意義などを考えさせるなどの理由で中学生から読ませるべき良書ということらしいが、本書は決して経済学の入門書ということではなく、経済学の初歩と歴史くらいは知っていなければ、十分に読みこなせないのではないだろうか。かくいう私も経営学者であって経済学はずぶの素人のため読みこなせている自信もない。ただ、読者のレベルにあわせて得るものはあるかもしれない。

 本書は文化の経済学への感心を喚起するための本であるため、このような指摘は的はずれだが、学問的にどのように歴史や慣習や規範、宗教といった要素を分析するのかは全く明らかにされていない。どのような手法を用いて研究が進められるのかに関してはこれからの研究に期待したい。ドラッカー信者の経営学者としては、このような問題は「知覚」することが必要になると思う。

 最後にファンタジー小説としての感想を述べさせて頂ければ、引き合いに出される歴史上の出来事そのものやその解釈が私の趣味とはかけ離れているため、あまり楽しいとは感じなかった。また、最初に書いたとおり著者の陳情書のようで、気持ちよくは読めなかった。ただ、参考文献の書き方はすごく気に入った(研究書でまねしたい)し、章ごとの最初の引用はとてもいい言葉が多いです。文体は軽妙で読みやすく、最後まで読ませてはくれるので、興味のある方はどうぞ。

 ちょっと前に届いていたのですが、全然ブログを書く気にもならず、またしばらく使ってから書いた方がいいだろうということで、ようやく登場です。

 keiさんのブログzakka探訪に触発されて、いや、厳密に言うと物欲を刺激されて、ペリカーノジュニアを物色したところこのペリカーノを発見しました。このペリカーノはジュニアよりもペン軸が細いこととキャップのクリップがついていることが特徴で、こちらの方が手帳に使ったり、スーツのポケットに入れておくにはいいだろうと購入を決めました。

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 使用感はおおむね良好で、なめらかにペンが動いてくれます。ペンを持つところがきちんと決められているので、字の練習にはなるのですが、いかんせん自由にこの歳までペンを握っていたせいかちょっと窮屈です。また、指の滑り止めがついているにもかかわらずちょっと滑ります。この点はジュニアのようにラバーをつけてほしかった。

 手帳用のペンにと購入したのですが、インクの乾きが遅く手帳を閉じてしまうと反対側のページにインクが付いてしまうという欠点があります(欠点というよりむしろ僕が気づかなかっただけです)。そういう意味で機動力はないことがわかったので、今は赤インクを入れて論文などの文書校正に使っています。 

 やっぱり万年筆は据え置き型でゆったりと使うのがよいと思います。そういう意味ではジュニアの方がきっと使いやすいでしょう。僕が批評を書くとこのように欠点ばかり並んでしまうのですが、気に入って毎日使っています。

 googleがカスタマイズ出来るパーソナルページの日本語版を始めたので、今朝から早速試してみました。Gmailにきたメールのタイトルまで表示されるので便利です。ニュースなどの選択肢はまだまだこれからですが、ちょっと使っていこうかなと思いました。

 で、今大学にきたのですが、大学からはアクセスできない。1日のほとんどを大学で過ごしているのに。こりゃダメだ。